過去の開催情報
2024年07月13日(土)14:00~17:00 (参加費無料)
第201回「起業の鉄則塾」7月例会のご案内
第1部 |
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第2部 |
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塾長講話 |
塾長:小林 宏至 氏 株式会社甲南アセット 代表取締役 『塾長講評』 |
会場 |
兵庫県神戸市兵庫区大開通2-3-22甲南アセット大開ビル10F
神戸高速「新開地駅」西4番出口すぐ 兵庫郵便局並び 交流会 魚と飯「まる五」(会費3,500円) https://marugo.gorp.jp/ 兵庫区中道通2丁目1-3久保田ビル1F どなたでもご参加いただけます。 お気軽にお問合せください。 お申し込みはメールかお電話で。 tessoku@kounan-asset.com ※メールを送信される場合、メールアドレスをコピーのうえ、@マークを半角の@に置き換えてご使用ください。 TEL:(078)515-3981 080-3398-3505(当日連絡先) (担当:阪本) |
議事録
第201回「起業の鉄則塾」7月例会
会員短信
元松下電器産業㈱古見良平様からお送りいただいたコラムを掲載させていただきます。
「天下の仕置きは、四角い重箱を、丸くかき混ぜるようにするとよい」
(1) 序
(1-1)指導者が、組織を運営する場合に、心得るべきとされている格言が多くある。その中でも、徳川幕府において、家康以下の3代に仕えた謀臣であった、土井利勝の言とされている、つぎの言葉が、注目するべきものであると考えられる。
“天下の仕置きは、四角い重箱を、摺子木にて、洗うようにするが善し。摺子木にて、隅々までは洗えず。隅々まで善くなさんと思えば、悪し“
(1-2)これを現代語にすると、ほぼ以下のようになると思われる。
“指導者が、ある組織を運営する場合には、中心になっている、重要な課題に対してのみ、目を向けるべきである。隅々まで探索をすると、害が出てくる“
(1-3)私は、この言葉が、経営者の心がけるべき、最も重要なものの一つであると考えている。即ち、経営者は、組織にとっての、中心的な、重要な課題のみに集中をして、考えるべきであって、隅々の細かいことにこだわってはならない。“重箱の隅を突っつくような” ことをすると、かえって真実が隠されてしまって、トップに大切な情報が伝わらなくなることが多い。また、その経営者は、重要な課題についての、意思決定を誤って、自らの組織を、危機に陥れることがあると思われる。
(1-4)以下に、組織の運営についての、松下電池工業(株)の2人の社長の違いと、そのもたらせた結果について、説明をする。
(2) 東国徳社長;“ハイトップでの大成功” “亜鉛の値段など、わしは知らん”
(2-1)東国徳氏は、松下電器産業(株)の、電池事業本部長として、長年君臨をして、松下電池工業(株)が分社化をされた時に、その初代社長を務めた方である。同社長の最大の功績は、従来の2倍長持ちをするといって、大々的に宣伝をされた “ハイトップ乾電池” の事業化であったと思われる。
(2-2)東社長は、自分が技術者であると自認をされていた。そして、ハイトップの事業で成功をした後でも、新しい事業を模索しておられた。同社長が、目をつけられたのが、充電器とバイオマスであった。この中で、充電器の事業は成功をしたが、バイオマスの事業は実らなかった。また、同社長の在任中に、リチウム1次電池や、小型2次電池などの新しい事業も、育って行った。
(2-3)東社長は、日本や中国の古典にも、割合に詳しかったが、どこかからの “聞き
かじり” が多かったと思われる。土井利勝の “四角い重箱を、丸くかきまぜるようにす
る” という言葉も、どこかで聞いてこられたふしがあって、同社長は、この土井利勝の
格言を、よく守っておられた。そして、日常の業務については、一切を事業部長たちに任せておられた。このために、各事業部長と、その部下たちは、のびのびと仕事をして、創意工夫によって、多くの成果を上げることが出来ていた。
(2-4)乾電池の主要な原材料の一つが、亜鉛であった。亜鉛の価格によって、乾電池の原価の変化をする割合が大きかったのだが、東社長は “亜鉛の値段など、わしは知らん” と言っておられた。同社長は、亜鉛の値段という “隅々のこと” を、事業部の担当者に任せて、自分は手出しをされなかったのである。
(2-5)その反面、東社長は、時々、幹部に対して、事業部の細かいことを話された。その事業部長が驚いて “社長、なぜそんな下世話なことを知ってられるのですか?” と聞くと “ニュースソースは言えん” といってとぼけておられた。
(2-6)東社長は、70歳になる手前で、松下電池工業(株)の社長を辞任された。文
字通り、功成り名を遂げた引退であった。然し、その後で、電池のことに全く無知であ
って、また “四角い重箱を、丸くかきまぜるようにする” という格言を知らずに “重箱
の隅を突っつくようなことをする” 石橋氏が、社長に就任をしたことで、同社の悲劇が
始まった。
続きは以下「議事録を見る」をご覧ください。
会員短信
元松下電器産業㈱古見良平様からお送りいただいたコラムを掲載させていただきます。
「天下の仕置きは、四角い重箱を、丸くかき混ぜるようにするとよい」
(1) 序
(1-1)指導者が、組織を運営する場合に、心得るべきとされている格言が多くある。その中でも、徳川幕府において、家康以下の3代に仕えた謀臣であった、土井利勝の言とされている、つぎの言葉が、注目するべきものであると考えられる。
“天下の仕置きは、四角い重箱を、摺子木にて、洗うようにするが善し。摺子木にて、隅々までは洗えず。隅々まで善くなさんと思えば、悪し“
(1-2)これを現代語にすると、ほぼ以下のようになると思われる。
“指導者が、ある組織を運営する場合には、中心になっている、重要な課題に対してのみ、目を向けるべきである。隅々まで探索をすると、害が出てくる“
(1-3)私は、この言葉が、経営者の心がけるべき、最も重要なものの一つであると考えている。即ち、経営者は、組織にとっての、中心的な、重要な課題のみに集中をして、考えるべきであって、隅々の細かいことにこだわってはならない。“重箱の隅を突っつくような” ことをすると、かえって真実が隠されてしまって、トップに大切な情報が伝わらなくなることが多い。また、その経営者は、重要な課題についての、意思決定を誤って、自らの組織を、危機に陥れることがあると思われる。
(1-4)以下に、組織の運営についての、松下電池工業(株)の2人の社長の違いと、そのもたらせた結果について、説明をする。
(2) 東国徳社長;“ハイトップでの大成功” “亜鉛の値段など、わしは知らん”
(2-1)東国徳氏は、松下電器産業(株)の、電池事業本部長として、長年君臨をして、松下電池工業(株)が分社化をされた時に、その初代社長を務めた方である。同社長の最大の功績は、従来の2倍長持ちをするといって、大々的に宣伝をされた “ハイトップ乾電池” の事業化であったと思われる。
(2-2)東社長は、自分が技術者であると自認をされていた。そして、ハイトップの事業で成功をした後でも、新しい事業を模索しておられた。同社長が、目をつけられたのが、充電器とバイオマスであった。この中で、充電器の事業は成功をしたが、バイオマスの事業は実らなかった。また、同社長の在任中に、リチウム1次電池や、小型2次電池などの新しい事業も、育って行った。
(2-3)東社長は、日本や中国の古典にも、割合に詳しかったが、どこかからの “聞き
かじり” が多かったと思われる。土井利勝の “四角い重箱を、丸くかきまぜるようにす
る” という言葉も、どこかで聞いてこられたふしがあって、同社長は、この土井利勝の
格言を、よく守っておられた。そして、日常の業務については、一切を事業部長たちに任せておられた。このために、各事業部長と、その部下たちは、のびのびと仕事をして、創意工夫によって、多くの成果を上げることが出来ていた。
(2-4)乾電池の主要な原材料の一つが、亜鉛であった。亜鉛の価格によって、乾電池の原価の変化をする割合が大きかったのだが、東社長は “亜鉛の値段など、わしは知らん” と言っておられた。同社長は、亜鉛の値段という “隅々のこと” を、事業部の担当者に任せて、自分は手出しをされなかったのである。
(2-5)その反面、東社長は、時々、幹部に対して、事業部の細かいことを話された。その事業部長が驚いて “社長、なぜそんな下世話なことを知ってられるのですか?” と聞くと “ニュースソースは言えん” といってとぼけておられた。
(2-6)東社長は、70歳になる手前で、松下電池工業(株)の社長を辞任された。文
字通り、功成り名を遂げた引退であった。然し、その後で、電池のことに全く無知であ
って、また “四角い重箱を、丸くかきまぜるようにする” という格言を知らずに “重箱
の隅を突っつくようなことをする” 石橋氏が、社長に就任をしたことで、同社の悲劇が
始まった。
続きは以下「議事録を見る」をご覧ください。